Wednesday, July 05, 2006

足利三代木像梟首事件












角田忠行佩刀

鎬造 刃長 
71.4cm(2尺3寸5分6厘)
反り 2.0cm(6分5厘)
身幅たっぷりあり、表裏に棒樋を切り、掻き流す
地鉄はよく詰まり、無地に近く、うるおいがある。
刃文は、大小ある互の目丁子となり、尖り刃を交え賑やか
帽子は直ぐに入り、小丸で返りは浅い。
中心は磨り上げ無銘、目釘孔2個、鑢は切り。
中心尻は一文字

「足利三代木像梟首事件」の際に使用された、
首謀者 角田忠行佩刀の無銘刀です。

文久三年二月二十二日、同士二十四名と共に、夜に乗じ、
洛北衣笠山・等持院に侵入し、
刀を以って足利尊氏・義詮・義満三像の首を斬り、
次の2首の歌を附して、
三条橋南・加茂河原に晒したという事件に使用された刀です。

しこの首きりて晒して みよし野の 君と臣とに今はたむけん

いましよにほてるたふら心せよ このしなくさをおのが身にして

その際、儀式的に首にあてられた刀というのが、
この事件の首謀者である角田忠行の佩刀です。
(木像ですから、首は簡単に引っこ抜けた)

これらの事件の後日談:
角田忠行が信州に逃亡している際の出来事が、
島崎藤村の「夜明け前」に記述されています。

角田忠行翁伝という読み応えのある、
熱田神宮から譲っていただいた書籍にも、詳しく記されています。
(角田忠行は、維新後に熱田神宮の大宮司を務めました。)

また刀の白鞘(明治~大正時代の白鞘)には、
1文字が5mm程度の見事な由来の鞘書きがびっしりと書かれています。

角田忠行翁が大正14年に元門人の竹山肇氏にこの刀を譲り、
その後昭和3年にその当時の大宮司、野田菅麿の筆跡で
白鞘に書かれたものです。

熱田神宮に問い合わせたところ、 大東亜戦争で熱田神宮も全焼したため、
野田菅麿の筆跡は現存がこの鞘書きぐらいだそうです。

白鞘のもう片方には備前の高名な兼光の、当時の鞘書きもありますが、
もちろん当時の志士によくあった、箔つけ鞘書きです。

またこの刀は、
国学者の鈴木重胤氏を暗殺した時に使用された刀でもあります。
不名誉な事として御子孫の方は公にはしていませんが、
長野にご健在の角田忠行の孫にあたる方が、
その当時の史料を所蔵されております。

地鉄は古研(当時のまま保存するべきとの判断)のため、
くもり気味で判明しませんが、刃文は細かな上手に焼いた丁子小乱れで、
大阪新刀の流れをくむ紀州派ではないかという福永酔剣師の意見が
「刀和」の「足利三代木像梟首事件」に関する連載に記載されています。

しかしこれは「刀和」掲載用に格下げしての話で、
実は、「水心子正秀、あるいは大慶直胤の兼光写し」 というのが、
福永酔剣師の結論でした。
もちろんこの「刀和」の連載号も保存してあります。

新刀にしては反りが大きく、
新々刀の古名刀写しとみるのが自然だと思いますが、
こうした古名刀を忠実に写すことができるのは、
作刀当時に既に高名とされていた刀工に限られると思います。

福永師も歴史上の事件に使用されたこの刀に興味津々でした。

福永師自筆の押し型と、
角田忠行の詠んだ詩を福永師が記した書を軸にしてあります。

また鞘書きの内容を熱田神宮の宮司が記した、
「角田忠行佩刀之記」 を額装してあります。

砥ぎは古砥ぎのままですので、現代の華やかな砥ぎとは違います。
歴史的な意味合いを残すためにもこのまま保存したいと思っております。

刀としてはかなりの豪刀です。
人を殺めた刀ですので、
念のため武の神様である春日大社で祈祷してもらっております。

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